エッセイ 一般
カリフォルニアの日系三世とアイデンティティ
最初の論文(卒論)
「カリフォルニアの日系三世とアイデンティティ」応用社会学研究, no. 18, pp.99-113, 1977
木下康仁
はじめに[i] 社会における個人とは単なる受動的な規範体現者でしかないのであろうか。かりにこの問いの答を否とするならば一体どこに個人の主体性、創造性は求められるのであろうか。社会と個人という議論の多い問題を〈文化〉を導入して考察しようとするのが本稿の意図である。
前半では複数民俗社会のなかでマイノリティとなっている成員がいかにして非抑圧者の地位から脱却し自己の回復と集団の尊厳を獲得しうるかを、集団アイデンティティを媒介概念として考察する。そして、あわせてその運動モデルを示す。又、後半では事例研究としてカリフォルニアの日系三世を扱う。日本文化を背景にもちアメリカ社会へ深く同化した彼らが新たに「アジア系アメリカ人」というアイデンティティを形成しようとするプロセスを分析する。
1. 理論的考察
〈文化〉を個の主体的文脈に読み返す作業から社会変革を誘引しうる個の主導による創造的活動の理論化を試み、作業仮説的運動モデルを提示する。文化の「型」の比較論争は時間性の欠如と各文化成員の画一化という欠陥を前提としていた。そこで本稿の議論はこれらの克服をも意図する。ところで、我々は次のような基本的認識に基づいて考察を進める。文化、社会による成員の鋳型化機能を重視するが、個人を単なる受動的存在とは認めない。個人の主体性は無意識的要因よりも意識化された行為によって形成される。そして、背景文化の異なる集団からなる混淆社会では、帰属感を保障する自己の究極的存在証明は下位社会を構成する自文化の特定要素に求められる。
1-1 「政治の再部族化」現象
政治学者アイザックス[ii]は今日の世界の政治情勢が既存の国境にとらわれずに民族、部族、宗教、言語等の文化要素を軸に変動していると指摘している。すなわち、独立国家内部でこれらの要素を媒介とする政治勢力化が進みつつあるという。例えば、最も戦闘的形態としてパレスチナの「パレスチナ解放機関(PLO)」、「パレスチナ解放人民戦線(PFLP)」、英国北アイルランドの「アイルランド共和国軍(IRA)」、 スペインのバスク地方の「バスク独立と自由(FTA)」、 カナダのフランス系住民による「ケベック解放戦線(FLQ)」などが上げられよう。一般的にみてもベルギーのフランダースとワルーンの対立、フランスのブリタニア問題、中国のチベット対策、アメリカの人種問題にこの傾向がみられる。しかし、最もドラスティックな展開は所謂第三世界諸国においてである。
旧植民地を領土として独立した国々では新たな国家アイデンティティの形成を急務としながらも内包する部族、宗教、言語的多様性が国家レベルに統一的に収斂せず、逆に下位社会を形成する文化集団や国境にまたがって存在する部族のレベルへと下降、縮少し政治的安定を困難にしている。こうした政治勢力化は、例えば、 1945年から1967年の間に発生した34の主だった対立の結果、推定で750万もの犠牲者をだしている[iii]。インド亜大陸のイスラム教徒とヒンズー教徒の宗教対立、ス-ダンのアラブ系と黒人の対立、 ナイジェリア、コンゴの部族抗争、 ビアフラ、 アンゴラの悲劇、キプロスのギリシャ系とトルコ系の対立、又、東南アジアではマレーシアの中国系とマレー人、 インドネシアの中国系とインドネシア人の対立、フィリピンのキリスト教徒とイスラム教徒、 ニューギニアのパプア人とインドネシア人、 ビルマのカレン、シャン、カチン族と政府軍、イラクのクルド族問題、等々、実におびただしい殺戮が続いている。アイザックスはこのような政治情勢を「政治の再部族化(Retribalization of Politics)」[iv]と呼んでいる。
個別文化への回帰による政治勢力化は現在に特有な現象であり、独立闘争の過程で使用された「民族主義」という概念ではとらえきれない。我々はこれを文化を基軸とし新たな秩序体系の樹立を志向する内発的運動と理解しよう。
1-2 集団アイデンティティと擬種集団アイデンティティ
「政治の再部族化」を分析する中心概念の1つは「集団アイデンティティ」である。アイザックスはこれを「集団的自尊感情を獲得するためにある集団のメンバーに共有されているアイデンティティ」と定義している[v]。ここでいう集団とは人種的、民族的、宗教的など文化的なそれである。だが、 この定義はあまりに一般的すぎる。そこで次のように修正、再定義する。「集団アイデンティティは価値剝奪された集団の成員が自己の尊厳を、文化要素を媒介として獲得しようとし、同状況にある他者との連帯から独自のイデオロギーを持つ時に形成される。」
媒介となる文化要素は社会環境、状況の変化、心的内面の葛藤などの諸要因の接近、反発、相殺の結果ある特定のものが抽出される。通常、出生と同時に個人の意志とは無関係に賦与される人種、身体特性、民族、宗教、名前、 国籍、出生地、言語などの文化特性と歴史的展望をふくんだ「文化過去」の集合体からあるものが 選択される。そこでこの集合体を〈文化素材群〉と呼ぶことにしよう。一般には第一次集団的機能を負う下位社会を構成する文化素材がその成員の基準的アイデンティティ、帰属意識の対象となるがこれは不変、固定的ではない。下位社会を核として外的、内的変化に応じ同心円的伸縮運動が可能である。例えば、下位社会のレベルで深刻な問題がない場合には別な文化素材を媒介にして、高次の、かつ新たな自尊獲得活動が進められよう。なぜなら、集団アイデンティティは今あるものを扱う静的概念ではなく抽出文化素材とイデオロギー、又は自己主張をセットとする具体的行動の指針に他ならないからである。
ところで、集団アイデンティティが重要な意味をもつのは時代の変革期においてである。圧倒的な秩序機構のもとでは価値剝奪された集団は否定的価値を自発的に内面化するか、 あるいは自尊を求める動きは圧殺される。ところが、価値体系の安定がくずれ相対化、拡散化現象が生ずるまでに社会条件が醸成すると被抑圧集団の成員は否定的自己像への懐疑から自己の文化が自尊感情を培う源泉でないばかりか、 自己嫌悪や自己拒否の原因となっていたことに覚醒する。そして、自文化の再検討作業や過去の姿を考察するなかで特定の文化素材を抽出し価値転換を求める「再生」を個と集団の双方のレベルで成しとげようとする。
ここで混乱を避けるために「集団アイデンティティ」とエリクソンのいう「擬種集団アイデンティティ[vi]」の違いを区別しておこう。彼は現代の課題は人間がひとつの「種」になることでありそれを阻害する集団単位アイデンティティを「擬種」と決めつけている。我々はエリクソンから多大の理論的影響を受けているが、 このユートピア的主張に「宗教家」としての彼をみる。第一に、現段階では人間にとって文化が存在証明の強力な基盤となっているにもかかわらずエリクソンはこれを認めていない。又、単なる集団アイデンティティと我々の概念とは全く質的に別なものである。前者が現存の集団を語義的にさすのに対し後者はそれらに対峙あるいは敵対しながら新たな統一を志向する内発的創造運動である。見方をかえれば体制、権力を代表する前者こそ、後者にとって「擬種」と言うこともできよう。
1-3 エリクソンの自我理論
我々は人間の主体性、創造性を重視するがシンボリック相互作用論者のように観念論的前提ではなく、むしろその根拠を精神分析的自我心理学に求める。とりわけ、フロイトの提唱した受動的、防衛的自我理論を自我本来の姿と認めず「葛藤外の自我領域」に能動的、積極的自我機能を求めたハルトマン[vii]、自我形成と環境との相互作用を人生初期に限定したフロイトに対し、〈相互性〉を媒介概念とし地域共同体、階級、民族、宗教等にまで拡大するとともにライフ・サイクルで発達段階を表示し社会環境と自我形成の永続的かつ動的相互規定性を理論化したエリクソン[viii]、あるいは、自我を病理性から分離させたマズロー[ix]に、忠実な規範体現者からの「人間」の解放と創造的活動の可能性をみいだす。
難解をもって知られるエリクソンの自我理論の詳細な検討は本稿の範囲を越えるので、ここではその理論の中核をなす青年期についてだけ簡略に要約を試みる。
エリクソンは基本的にはフロイト理論の継承者であるがライフ・サイクルを揺籃期、幼児期、遊戯時代、学校時代、青年期、成人前期、成人後期、成熟期の八段階に区分する。そして、各段階は対をなす一組の課題解決をせまられ「心理社会的危機」として特徴づけられる。なかでも青年期はそれ以後の個人生活史を大きく規定する重要な段階である。前段階から繰り越された課題が再浮上し、他方では私的行動が社会的、歴史的脈絡に共鳴盤をみいだす。そして、模倣的同一化の堆積が再構成され単なる総和以上の一種のゲシュタルト的総合が成立する。アイデンティティとはこうした自我の統合機制であり、その基本的意味は自分とは何者であり、いかなる過去をもち、そして、これから何処へ向おうとしているのかについてのはっきりとした認識である。あるいは、個人のうちに一貫して保持される斉一性とその本質的性格を他者と永続的に共有することである。
ところで、エリクソン理論のもう一つの特色は、ライフ・サイクルの各段階に呼応して心理社会的危機、重要な関係、関連する社会秩序、心理社会的モダリティなどの諸項目から特徴づけられるワーク・シートの提示である。青年期では心理社会的危機は「アイデンティティ対自己拡散」の葛藤として表出し、生活圏の拡大は重要な関係として「同輩集団と外集団、 リーダーシップのモデル」をとり込み、かつ、イデオロギー的展望をもって社会秩序と関連する。とくに変革期においては、青年は時代の危機に最も鋭敏に反応する。そして、個人の意識的行為をもって「自分自身になる。自分自身を共有する」ことが心理社会的モダリティとなる。エリクソンは青年期を「心理社会的モラトリウム」と呼び将来の仕事に結びつく〈技能〉の習得や、周囲からの期待と自分の希望との妥協接点を模索する役割実験、スタイル実験が社会的に許容されるとした。逆の視点からみると成人の要素をもちながらも成人とみられない一種の価値剝奪の時期である。被抑圧集団の青年にとっては二重の価値剝奪となる。
1-4 青年期と社会と文化
個人の心的機制と社会の結節を試みる諸研究は社会心理学、 とくに新フロイト学派やアメリカ文化人類学の「文化とパーソナリティ学派」によって蓄積されてきた。フロム[x]は、フロイト理論を、社会的影響を重視する立場から修正し独自の「社会的性格」論を展開した。すなわち、社会は絶えず変化しておりある時代に形成された「社会的性格」は異った社会状況では社会変動を誘引しうると考え、この概念に社会構造を維持する「接着剤」の機能とそのズレを変革に導く「起爆剤」の機能の両義的性質を求めた。しかし、幼児期と社会的性格が個人発達史と関連せず断絶がみられたり、社会成員の無意識を重視したため画一化して理解するという誤謬を犯した。個人の主体性を無視し無意識的パーソナリティ傾性を前提とした研究はアドルノらの「権威主義的パーソナリティ」論にもみられる[xi]。
他方、文化とパーソナリティ学派も育児制度と第二次制度を「基本的パーソナリティ構造」モーダル・パーソナリティ」等の媒介概念で構造的解明を試みたが[xii]、育児様式の過重視、時間的展望の欠如といった欠点を内包していた。なぜなら、変りにくい育児様式と、 したがって変化しないパーソナリティ構造を前提とする「文化型」の比較論争から創造的人間を把握する余地はなかった。又、制度、集合行動などからの推定によらず個々の成員のパーソナリティ調査によるモーダル・パーソナリティ、国民性の研究はインケルス[xiii]らの指摘以後、新たな進展はない。一方、知覚、認知などの比較文化研究へと方向転換した新文化とパーソナリティ学派[xiv]は人間のゲシュタルト性を重視しているとは言いがたい。我々がとくにエリクソンに学ぶ点は、個人生活史と社会性とを青年期という人生の一時期においてとらえることと個人を無意識の繰作的存在から意識的行為による主体性活動の担い手として理解する点などである。
ところで、青年期は普遍文化的ではない。例えばマーガレット・ミード[xv]はサモアでは青年期が激動の時期ではなく明確な区分も存在しないと報告している。つまり、我々の議論してる青年期は一定の社会形態についてのみ適応しうる。産業の近代化が高度分業化を生ぜしめ社会適応の方法として「モラトリウム」の期間が許容される場合についてである。「未開」地域や第三世界が急速に西欧型産業社会を志向し、その結果モラトリウムが青年に与えられる場合、彼らは自己のアイデンティティをどこに求めるであろうか。「政治の再部族化」過程に青年がいかなる役割を果たしているか今後の研究が待たれる。
1-5 運動モデルの提示
さて、以上の議論をふまえて集団アイデンティティを中核とする政治勢力化のモデルを解説することにしよう。このモデルは運動の担い手を青年におき、社会的条件として支配的な価値体系の安定が崩れた時代の変革期を前提とする。
個人的位相、日常性の位相、社会的位相の順で説明する。通常、被抑圧集団の成員は青年期以前、とくに人生初期に否定的自己像を内面化することが多い。全体社会から彼らに押しつけられる代名詞、すなわち価値剝奪されたステレオタイプ、 スティグマなどが具体的イメージとなる。例えば我妻[xvi]は4才の未開放部落民の子供が「四つ」(彼らに対するステレオタイプの1つで動物のように4本足であるとする偏見) という否定的自己イメージを内面化していく過程を詳細に報告している。アメリカのマイノリティは白人化を強要されかつ自文化を価値剝奪される二重の疎外機制に陥いる。こうした「抑圧の刻印」(Mark of Oppression)は生涯永続することもあるが生活圏が拡大し歴史的視野や社会事象の分析が可能となる青年期において否定的自己像を価値転換し「再生」する、あるいは試みることが可能になる。そして、個人の自己回復と集団の自尊感情の獲得とが同時になしとげられる余地を生む。
内在化した否定的自己像に懐疑的になり価値のないものとされた自文化を再検討したり、過去の扱かわれ方に眼をむける。そして、特定の文化素材に積極的意味をみいだし、この素材を媒介として自己回復を試みる。心的内面の生まれかわりは必然的に外的社会に対する意志表示という意識的行為となる。この作業は社会の反発にあい苦痛と緊張を伴う。例えば、在日朝鮮民族の成員にとって通俗名の日本名から朝鮮名の本名に変えることは多くの努力を必要とする。次に、新たな、したがって微弱な自己の斉一性、統合性の保持を同状況にある他者との連帯に求める。つまり抽出した文化素材を共有し同様な価値転換を拡大していく。言うまでもなく自己回復のプロセスはある程度の時間を必要とし、一担意志表示を行うともとにもどるのは困難となる。そして、個人の意志表示は集団の意志表示となり具体的には共有する文化素材を軸に彼ら自身の代名詞を持とうと試みる。これはステレオタイプと対決するものとなる。又、集団的意志表示は何らかの〈活動〉となる。こうして個人的位相は日常性の位相へと上昇移行する。他者との連帯から共同行為を導く過程はエリクソンの言う「歴史的アクチュアリティ」[xvii]の共有と理解されよう。
日常性の位相は、したがって、非日常的行為によって特徴づけられる。外的に賦与されるステレオタイプを拒否し自文化の尊厳を基礎とする新たな社会的イメージ(我々はこれを集団アイデンティティと理解するのだが)を形成するとともに実生活のなかでその意志表示として様々な行為、活動が現われる。実際の観察が行なわれるのはこの位相である。ところで、 これら諸活動は個別目的に応じ多様化するが基本的には集団アイデンティティを共有する。日常性の位相における活動が一定の量化をはたす時集団アイデンティティは日常性を越え社会的な意味をもつようになる。同一文化素材の共有と自尊感情の獲得は個人から日常性へ、そして、社会性の全てに一貫する。とくに社会的位相で展開される場合、集団アイデンティティはイデオロギーとして明確になりその集団全体の主張をとり込むようになる。一般に抽象理念が先行しやすいイデオロギーに比べ、これは、言わば、イデオロギーの下部構造として文化素材という具体物をもっている。そのため、運動全体の統合性、凝集性を高める。日常性から社会性の位相への変化は前者における活動の増加という量的条件によると述べたが、その過程に重要な役割をはたすのがメディア機構である。新たな社会的代名詞として集団アイデンティティを定着させるため雑誌、新聞等の広報活動が主要なものとなる。文化素材とイデオロギー、あるいは自己主張をセットとする集団アイデンティティは社会的位相に至って最大限の政治勢力化をなしうる。そして、一方では全体社会、体制に対する対立を先鋭化し緊張をうみ、他方では同様な状況にある他集団との高次連帯の道を開く。
又、集団アイデンティティは一担定着すると未だ否定的価値をとらわれている他の個人に対して自己回復をうながすというフィードバック機能をはたす。個人生活史と歴史・社会性が相互に共鳴をみいだす時、一個人の心的機制の変化は日常性を介して社会的諸変革に至るイデオロギーに転生する。我々は一貫して人間にとっての〈文化素材群〉の重要性とアイデンティティの探究の意識的行為を重視してきた。そして、上述した変革運動モデルを「政治の再部族化」と呼ぶことにしよう。あるいはアイデンティティを肯定と否定に分けたエリクソンに対し、複数の肯定的アイデンティティを想定しこれをカウンター、カルチァにならい「カウンター・集団アイデンティティ」[xviii]と呼んでもよかろう。
2.日系アメリカ人の事例研究
前節で議論したモデルを日系アメリカ人のケースにあてはめてみよう。我々にとって日本文化は余りにも当然なため日常意識することすら稀である。そこで日系人の研究は日本文化を客観視するうえで非常に有効であると思われる。2—1 概観
日系アメリカ人の現状を素描するための以下いくつかの項目について述べることにする。
〈1〉人口
アメリカ合衆国に居住する日系人は1970年現在[xix]、588,334人と報告されている。総人口の構成比、わずか0.3%の極少マイノリティである。ハワイ州に全体の36.3%、本土ではカリフォルニア州に36.5%とかなり集中している。都市単位では約10万の人口をもつロサンゼルスが最大であり南カリフォルニアの経済、文化などの中心となっている。我々は本土の日系人についてのみ扱い、ハワイに関しては必要な時にだけ扱う。
参考までに中国系は約44万人、フィリピン系は約34万人となっている。又、アジア系のなかで朝鮮系の数もかなり増加してきている。
〈2〉基本概念の定義
本稿では原則として移民を「一世」、一世を両親としてアメリカで出生した次世代を「二世」、同様に次世代を「三世」と定義し「日系人」は彼らを総称するものとする。
日系人の場合、世代間のオーバーラップが少ないため世代差が有効な指標である。日本からの「出稼ぎ」[xx]移民の流入[xxi]は1890年代から「移民禁止法」の1924年の間がピークをなし、又、以後1952年まで日本からの新規移民は事実上不可能であった。そのため二世の出生も一定時期に集中した。例えば、1920年前後がピークとなっている[xxii]。同様に三世の出生時期も限定され、今日では一世が70才以上、二世が40〜50才代、三世が20〜30才代前半に達し日系社会の担い手が二世から三世への交替期に入りつつある。言うまでもなく我々の議論は青年期の三世を中心とする。
〈3〉同化の構造的素描
現在、日系人は白人中産階級化に成功した唯一のマイノリティとしてアメリカ社会で高く評価されている。多大の影響力をもつNew York Times[xxiii]やNewsweek誌[xxiv]などもこの極小マイノリティの「成功」を報道している。
所得額:経済的地位は所得額の高低に反映する。1960年と1663年の全米統計調査[xxv]をもとに各集団別の35才から44才の男性の平均所得額を算出したところアメリカ全体で5,465ドル、白人は5,680ドル、以下黒人3,104ドル、「アメリカ・インディアン」2,655ドルに対し、日系人のそれは5,581ドルとほぼ白人と同額である。白人以外の集団の平均が3,215ドルであることからみても収入面に関するかぎり日系人は白人化に成功しているといえよう。
世代間の職種上昇:移民社会アメリカでは世代が進むにつれ社会的地位の上昇が可能になると考えられている。むろん、このパターンは白人についてのものであるが、日系人の特徴はマイノリティとしてこれを具現化したことである。一世の大部分は契約農業労働者や庭園関係の労働者であり低賃金と劣悪な労働条件を強いられた。二世の多くは中産階級化できる能力、資格をもちながらも排日差別のため第二次大戦後までは十分な進出は困難であった。一方、戦後世代、三世は差別の減少傾向という日系移民史上最も恵まれた時期に成長し、社会的評価の高い専門職への強い志向がみられる。
レビンとモンテロ[xxvi]は1963年に一世と二世の職種移動を調査した。それによると、一世のうちホワイトカラーが39%、農業従事者が48%、ブルーカラーが13%に対し二世全体ではそれぞれ71%、12%、17%となっている。注目すべき一世でもかなりがホワイトカラーに進出している点と二世の71%もがホワイトカラーである点である。一方、父子関係でみるとホワイトカラーの一世をもつほぼ全ての二世はホワイトカラーである。農業従事者やブルーカラーの一世を父とする二世のうちホワイトカラーになったものは半分強である。
又、キタノ[xxvii]は日系人全体に占めるブルーカラーの減少と農業従事者のうちで経営者の増加を指摘している。三世については全体の傾向把握から相当高率の専門職化をキタノは予想している。このように世代と職種上昇の関係も白人のパターンを踏襲している。
高等教育の普及:1960年の国勢調査から25才以上の集団別平均修学年数[xxviii]をみると日系人は白人をふくめた全ての他の集団よりも高い年数を記録している。又、ロサンゼルス市についてみると1970年の時点で高校卒業者は約65%である。日系人の学業成績の優秀さは二世、三世ともに変わらない。例えばロサンゼルスの羅府新報[xxix]は三世の優秀さを報じている。ただ二世は勤勉、従順で「先生のお気にいり(teacher’s pet)」が多かったのに対し三世の態度には他の民族集団の学生と変わったところがなくなったといわれている。又、理工系の学生の多いことも日系人、とくに三世の特徴である。
日系政治家の進出[xxx]:日系人が最大マイノリティであるハワイは別にしてもここ数年日系人の政界進出はめざましいものがある。アメリカ社会のマイノリティの政治参加は各々の集団を票田とするEthnic Block が支援基盤となるのが通例である。しかし、人口数の極端に少ない日系人は主として白人層を票田として進出している。そのため日系政治家と日系社会とが他のマイノリティの場合のように直接的につながっていない。実質的利益の還元もみられない。
<4>ステレオタィプ
各世代の特徴をステレオタイプでみると,一世は辛苦に耐えた姿から「竹」にたとえられ二世はなかが自人であることを強調して「バナナ」と呼ばれた。そして,三世はほぼ完全に同化したのに日本文化に関心をもつ者が多いことから「卵」と言われる。
ところで, 日系人のステレオタイプを別表[xxxi]のように集めてみた。
日系人に対する社会的ステレオタイプ
風変りな(exotic)
うす汚たない(filthy)
反道徳的(immoral)
社会にとけ込まない(unassimilable)
油断できない(treacherous)
ひきょうな(cowardly)
安っぱい人間(cheap man)
こうかつな (tricky)
不信心な(heathens)
けちな(sneaky)
犯罪人(criminals)
ぺてんの(deceitful)
残酷な(cruel)
二つの顔をもつ(two-faced)
悪徳な (vicious)
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「肯定的」なものとしては,
忠実な(loyal)
勤勉な(industrious)
知的な(intelligent)
法を遵守する(law obeying) おとなしい(quiet)
模範的アメリカ人(model American)
2-2 日系三世の事例研究
方法論:我々の理論モデルは個人の心的機制,日常生活,社会性の各々の位相において観察あるいは分析がなされ三者の関連から内発的創造運動の構造的構図を描くのが可能である。すなわち,個人の位相では深層心理学的分析方法が,日常生活の位相では参与観察法が,そして,社会的位相ではメディア機能を考慮してアイザックス[xxxii]が用いたような「イメージ分析法」が最も有効である。
しかし,本稿では種々の制約から日常生活の位相にのみ限定せざるをえなかった。したがってあくまで不十分なものである。今後の課題としたい。又, 日常生活についても特にグループ活動を行っている部分に限った。
以下, ロサンゼルスで現実に活動を行っている4グループを扱う。参加者数は全体のごく二部にすぎず統計的意味はないが,集団アイデンティティを中核とする活動はその意志表示として何らかの行為,活動に参加するのであるからこれはあまり重要ではない。むしろ,十分な理論的考察をせずに標本抽出,質問紙,統計上の一般化等の旧態依然たる社会調査法では表層傾向の把握には有効でもダイナミックな展開を説明できない[xxxiii]。
ところで, 4グループ[xxxiv]とは日系三世だけの老齢化した一世のための奉仕活動「パイォニア・プロジェクト」,日系社会のコミュニティ組織「日系地域奉仕」(JACS)の一部をなす日系三世と他のアジア系青年の混合グループ,加州大(UCLA)のアジア系学生グループ,そして, 劇団活動の「東西劇団」(East-West Players)である。尚,紙数の制約上詳細な説明は省き要約的にまとめた。
〔I〕「パイオニア・プロジェクト」
このグループは日系人街リトル・トーキョー(又は別名『小東京』)の安ホテルで孤独な生活を送っている貧しい一世の奉仕活動として発足し,曲折を経て現在では日系商工会議所の後援をうけた「パイオニア・センター」と協力して活動している。同様な組織はロサンゼルスに近接するガーディナ, ロングビーチ,オレンジ郡,パサディナ,西部ロサンゼルス,ベネス,サンゲーブロ,モントレーパークにも存在する。
しかし, ここで述べるのは最も早く1969年のはじめリトル・トーキョーで発足したがその後「パイオニア・センター」との対立から1973年に活動地区をロサンゼルス西南地区に移したグループのみである。その経過を説明しておこう。
「パイオニア・センター」は1970年に日系商工会議所の支持をうけて設立され一世によって運営されている。当初,「パイオニア・プロジェクト」は「パイォニア・センター」と協力していたが後者が比較的に恵まれた一世の余暇的レクレーション活動になるにつれ活動方針をめぐり対立した。三世たちが貧しい孤老の一世への活動を主張したためである。他方,三世たちの間でも奉仕活動のみを優先する部分とより政治的立場をとろうとする部分とが対立し結局1972年には分裂する。そして,政治とは関係なく奉仕専念の方向が確認された。又,「パイォニア・センター」との対立から同年,活動に使用していたリトル・トーキョーのユニオン教会, もちつき場などが借用できなくなった。1973年にリトル・トーキョーの活動を断念しロサンゼルス西南地区に移って現在に至っている。
活動参加者は20名ほどで大部分は社会人である。年齢は20代後半が最も多く全員が日系三世である。これに各行事ごとに一時的参加者が加わる。日本,日本文化についての関心は非常に高く,例えば全員が日本に行った経験をもち日本語も三世一般よりも高い。一世との間で日本語のコミュニケーションが可能である。花道,茶道,琴など日本の伝統文化,芸術を習っている者も多い。
月一回,第一金曜日の夜ミィーテングがもたれ活動の企画,準備が行なわれる。年間の主な活動は1月の新年会, 4・6・7・9月に一度ずつ花見旅行や植物園,海岸,動物園などへのピクニック,10月の活動資金集めのためのダンス・パーティ,12月のクリスマス・パーティともちつき大会などである。各企画への一世の勧誘は「加州毎日」,「羅府新報」という邦字紙の広告を通じて呼びかけられ全くの自由参加となっている。
〔Ⅱ〕「日系地域奉仕」(JACS)
これは二世を中心とするかなり大きな組織であるが,我々の扱うのはその一部をなす三世とアジア系青年の混合グループである。主な特徴は日系社会の組織の一部とはいえ日系人以外のアジア糸の参加を認めている点である。「日系地域奉仕」は急増する三世の非行,犯罪に親として二世の側から対処するのを目的とする非営利団体である。三世やアジア系青年の参加は1970年から開始され,彼ら自身にもこの問題に対処させるのがその理由であった。
彼らは活動スローガンに「人民への奉仕」(Serve the People)をかかげ人間の生活に不可欠な食料,医療,衣住,教育,雇用の確保を具体的目標とする。これは黒人運動ブラック・パンサー党などの影響による。又,「人民」とはアジア系アメリカ人, とくに非行,犯罪を犯した青年をさす。実際の活動は社会奉仕,若者の麻薬中毒,医療,雇用の部門に分かれて個々に進められている。注目されるのは,活動参加者が学生のボルンティアと非行歴,麻薬中毒歴をもち現在は更生した「街角」(Street)の背景をもつグループに三分される。後者の大部分は更生過程で「日系地域奉仕」の援助をうけている。このニグループはしばしば対立することが多い。
イデオロギーについて,アジア系の統一をめざし白人の差別体制に対決するため「イエローパワー」や「イエロー・ブラザーフッド」あるいは第三世界との連帯を求める「第三世界運動」に同調する。しかし,国際政治や政治全般に直接関与するよりもアジア系内部のコミュニティ活動に主眼をおいている。例えばブラック・パンサー党やニューヨークのプエルトリコ人組織(とくにYoung Lord Party)と接触を保っているが最も大きな影響はコミュニティ活動に関する面でうけている。
実際の活動についていくつかみてみよう。「アジア系アメリカ人の礎石」(AAHC)は麻薬中毒患者の更生プログラムとして発足し後にカリフォルニア州の刑務所に収監されているアジア系青年の更生の援助を行うようになった。文通による交信により精神的援助を与え,同時に刑務所内の差別,偏見による不当扱いの監視をも行っている。さらに出所後の社会復帰のための教育プログラム,住居,雇用先の確保も重要な活動である。他にソーシャル・ワーカーによる「小東京社会奉仕」,女性問題を中心に扱う「アジア系女性のためのセンター」(AWC), 麻薬中毒防止の教育とカウンセリングを行う「アジア系シスターズ」(AS)などが活動している。
〔Ⅲ〕加州大アジア系学生グループ
このグループの特徴は「第三世界運動」を前面にかかげイデオロギーを明確にしている点と具体的活動がアジア系学生相互の親睦とアジア諸国からの新移民への奉仕にむけられていることである。アメリカの社会ではプラックパワーなどと連帯し,対外的にはアメリカ帝国主義の侵略に抗義する姿勢を保っている。
「アジア系アメリカ人の学生会議」(AASC)はアジア系学生の声の代弁者と自己規定し社会諸間題に対して独自の立場から発言している。又,アジア系学生のためにアルバイトや奨学金についての情報をパンフレットにまとめ配布したり新入生のオリエンテーションを企画したりしている。春と冬には合同のレクレーション活動が催され相互の理解と結びつきを強める努力もみのがせない活動である。彼らは活動方針にアジア系アメリカ人というアイデンティティの確立とアジア系アメリカ人内部の統一の尊厳の獲得を唱っている。この関連で特筆すべき活動は毎月4月に日系コミュニティと共同で戦時中, 日系人が強制収容されたキャンプの1つマンザナ収容所跡を訪間することである。彼らはこれを「マンザナ巡礼」(Manzanar Pilgrimage)と呼び日系三世だけでなくアジア系学生の参加を強く呼びかけている。そして,この収容所跡を彼らの運動の原点として認識している。
「アジア系アメリカ人の教育奉仕」(AATP)はアジア諸国, とくに韓国,フィリピン,ホンコンからの新移民がアメリカ社会に適応するのを側面から援助しているグループである。初歩的な英語会話のレッスンからアメリカ文化,風俗,習慣の説明をも合めた総合的計画をたてて実行している。対象の年齢制限はなく幼児から老人まで全般に亘り原則として1対1方式で行なわれている。これは学生の側でも移民の文化を学ぼうという意図があることによる。このほかにもクリスマス・パーティなどのレクレーション活動や日,歯の無料検診,移民登録手続きの援助と徐々に活動の幅をひろげてきている。現在40名ほどの学生が週末,夜間を利用してカステーラ小学校,ワルナー・ストリート小学校,ベルモート高校を活動場所として借用している。
他に法律,経済など専攻別グループや文芸活動を中心とするものなどアジア系学生の活動は多岐にわたっている。
〔Ⅳ〕「東西劇団」(East― West Players)
日系人の「成功」は自人中産階級の価値観への順応,同調によって達成され,その結果理工系への集中,独創性を必要としない伝統的職域に限定される点であくまで一面的な「成功」にすぎないとする認識からアジア系, とくに日系人の芸術性の復権をめざすのがこの劇団の設立理由である。演劇活動を通じて東洋と西洋の理解を深めることを目的としアメリカ社会で機会を奪われているアジア系芸術家に自由な活動場所を提供するとともに,将来芸術家や俳優を志すアジア系青年に養成コース,ディレクター指導,ダンス,振付の講習,照明,衣装などの研修プログラムなど教育活動も重視している。
1965年に少人数である教会の地下をかりて活動をはじめ現在では規模も拡大され非営利団体として定着した組織に発達している。すでに20本以上の作品を発表しており,そのなかには日本や中国の昔ばなし(子供向), 日系,中国系などのかかえる社会問題を扱ったオリジナルなもの,例えばベトナム戦争を題材とするものなどがある。ほかにヨーロッパのドラマも取り入れている。公演は子供向けと一般向け,各々4回ずつであるが,子供向けの方はコミュニティ放送のUHF局で放送されたこともある。
最後に上述した4種のグループについてその特徴を別表にまとめておくことにしよう。
2-3 理論的考察とモデルの応用
新たな集団アイデンティティの形成をめざす具体的行為は日常生活における非日常的意志表示であると考えられる。そこで, 日系三世やアジア系青年による活動体をその一形態とし本稿の前半で議論した理論モデルにあてはめてみる。まず個人的位相, 日常性の位相,社会的位相の順で解説し,そのあとでアメリカの社会情勢,日系三世の特殊性を指摘する。
個人的位相:三世にとって第一次集団的機能をはたすのは日系社会である。人生初期の社会化過程で内在化しやすい否定的ステレオタイプ(例えば「ジャップ」「狡猾」,「悪徳」,「二面性」など)は黒人と比べるとさほどドラステックではないようである。それでも日系人であることを否定的に受け入れた幼児期創傷体験が報告されている。日系人の特異点は「成功マイノリティ」「模範的マイノリティ」などの語義上は肯定的ステレオタイプの問題である。彼らの「成功」が一面的偏りの「成功」であるにもかかわらず,それを民族的優秀性に帰因させることで日系人を他のマイノリティと自人の中間的存在化せしめ,一方で日系人を例証としてマイノリティの要求を封じ他方で功妙な差別機構を維持するという意図がみられる。事実, 日系人の中に彼らほど同化してないマイノリティを蔑視する傾向は強い。このように肯定的ステレオタイプは本質的に体制による差別・搾取機構の保持につながり日系人はその“安全弁”的機能をはたすにすぎず,中間的存在は疎外傾向を強める。三世たちがこれら肯定的ステレオタイプを内在化するなら虚構の自尊と差別の連鎖という功妙な罠にとらえられることに他ならない。そして,他のマイノリティとの連帯は困難となる。
ところで,青年期に達すると真の自分らしさを求めてそれ以前の自己イメージを再検討することが可能になる。そして,主体性の確立は背景文化の特定素材に積極的意味をみいだし,それを媒介として価値転換を行う時に自他ともに明瞭になる。日系三世の場合, このプロセスは複雑である。図表に示したようにまず自己の背景文化,日本文化への再評価,再吟味が行なわれる。(民族性の抽出)。そしてアメリカ人と日本人の中間的意識をもった二世と異り完全にアメリカ人であるという認識にたつ三世は一世,二世による排斥,差別,偏見との闘いであった日系移民史を重視することを通じて(文化過去の抽出),日系人と同様な移民史をもつ他のアジア系との間に共通項を求める。次に後述する社会情勢の影響をうけ共にアジア系である事実を軸に「アジア系アメリカ人」という新たなアイデンティティを志向する(人種性の抽出)。このように集団アイデンティティとして「アジア系アメリカ人」をかかげるが,下位社会の構成素材である背景文化と移民史という文化過去からなる層状構造となっている。
日常性の位相:個人の心的機制における自己尊厳の獲得を求めた再生の変化は苦難の移民史という共有素材を介して他のアジア系との連帯を可能にする。そして,「アジア系アメリカ人」という新たな集団アイデンティティを社会に対して表示しようとする行為は我々の議論では4事例の活動にみられた。ただ「パイオニア・プロジェクト」については日系三世の特殊性との関連で後述することにしよう。
社会的位相:日常性における各々の活動は活動範囲,規模等の拡大という一定の量的影響力をもつに至って社会性の次元で展開されることになる。我々の4グループは少なくともロサンゼルス一帯ではこの条件を満たしていると言える。
「アジア系アメリカ人」は集団アイデンティティとして必然的にイデオロギー,又は自己主張と結びつく。すなわち,アジア系内部の相違を越えアジア系の統一を志向すると同時に自人,黒人に対してアジア系としての自己確認するために「イエロー・パワー」,「イエロー・ブラザーフッド」,そして,「第二世界運動」などのイデオロギー,アジア系の芸術性の復権という自己主張が表示されている。特に注目される活動は加州大の学生たちが参加している「マンザナ巡礼」である。彼らは強制収容というアメリカ史上類をみない不当措置を単に当事者,日系人だけのものと限定せずアジア系全体に対する差別や偏見の原点にしようと努力し, この収容所跡を「アジア系アメリカ人」となるための精神的聖地としようとする。
ところで,彼らは一様に日系人の成功の片寄りを指摘し輝がしい面よりも「成功」獲得とひきかえに払われた不当に多くの代償に眼をむけ差別制度の本質をついている。
日常性から社会性への上昇は「集団アイデンティティ」を主張する方法としてメディアの役割が大きい。「アジア系アメリカ人」の場合にもこの新たな活動が社会的に注目されるようになった1960年代末以降にいくつかの広報活動が行なわれた。例えば1968年に加州大学(バークレー)に本部をおくアジア系活動組織「アジア系アメリカ人政治同盟」(AAPA)やロサンゼルスの加州大に設置された「アジア系アメリカ人研究所」(AASC)の研究活動,あるいは東部ニューヨークに本部をおく『橋(BRIDGE)』(これは中国系による),又,現在は廃刊されたが『ギドラ』という雑誌なども出されている。
「アジア系アメリカ人」の統一志向は人種レベルにおいて体制と対決し黒人その他との高次連帯を可能にする道を開く。そして, この集団アイデンティティが社会性の位相で定着すると逆に個人的位相へと下降し未だ自己回復をなしえず否定価値にとらわれている個人の「再生」を援助する。ここに三位相を連関させるフィードバックが働くようになる。
以上モデルにあわせて理論化を試みたが,いうまでもなくこの考察は不十分なものである。三位相に亘る集約的分析,観察が必要であり特に活動参加者の個人生活史を詳細にとることが望まれよう。
社会情勢の分析:集団アイデンティティに不可欠な文化素材はその時代の制約をうけた社会的条件によって抽出される。そして,社会の支配的価値体系が崩れかける時代の変革期であることが必要条件となる。
さきに現代の世界的傾向として「政治の再部族化」現象を指摘したがアメリカ社会にもこの影響がみられる。周知のとおりアメリカは多民族国家でありその統一を図る理念は古くはアングローサクソン化であったし後には「メルティング・ポット」に象徴された,諸民族の特性を溶解し新たな統一をめざした同化理論が主流をなした。 しかし,今日ではこの理論が本質的にはマイノリティから背景文化の価値を剥奪し,その上で白人化を強要するという二重の疎外機制に他ならなかったことが露呈した。1960年以降,「公民権運動」から「ブラック・パワー」へと質的先鋭化をとげた黒人運動やこれに触発された他のマイノリティの自己主張はとりもなおさず自人至上の秩序体系が安定を失うという変革期の一徴候を示している。つまり,同化理論の敗退とマイノリティの覚醒化現象はアメリカ社会の統一理念が拡散化しつつあることをものがたっている。そして,同化理論にかわる理念として注目されているのが各マイノリティの尊厳を基本前提とする「構造的多元主義」であろう。
こうしたアメリカ社会全体の変化に加えアジア系の内部でも一世代前とは比較にならない様な大変化がみられる。第一に日系と他のアジア系が敵対,反目した二世の時代にくらべ三世の今日では相互の対立要因はない。これは当時と異りアジアの政治情勢が比較的安定しているためである。次に三世は自分が完全にアメリカであるという認識をもっている。これは日米両国への忠誠の板ばさみにあった二世と大きく異る。又,ベトナム戦争はアジア人との戦争ということで反戦運動を通じ日系三世やアジア系青年は連帯を強めることができた。さらに三世の民族意識の弱化が指摘できよう。排日運動に抗し日系人の団結を固持してきた日系社会は露骨な差別が消えた戦後に成長した三世にはあまり重要な存在ではなくなりつつある。一例として高い通婚率があげられる。テンカー[xxxv]やキタノとキクムラ[xxxvi]の探索的調査によると三世の約半数が日系人以外と結婚しているという。二世の大部分は日本人同志の結婚であったことを考えるとこれは大きな変化といえよう。このようにアジア系内部の諸変化も全て個別民族性を越え「アジア系アメリカ人」を推進するのに働いている。
<ハンセン症候>(The Hansen Syndrome):さて我々のモデルで十分に説明のつかなかった「パイオニア・プロジェクト」について考察することにしよう。このグループは日系三世だけで構成され活動対象も日系一世だけである。又集団アイデンティティの形成に必要な時間的展望をもったイデオロギーを欠く。この問題は彼らが三世であるという事実との関連でのみ説明されよう。ハンセン[xxxvii]は様々な移民三世代を研究し彼らのあいだに共通した心理傾向のあることをつきとめた。すなわち,第三世代は祖父母(移民)の担った文化を再吟味しようとする欲求をもちその特定の要素の摂取に努力するが,その過程でアメリカ社会への同化がその有効な作業を制限しているのに気づく。この現象を「ハンセン症候」と呼ぶ。日系三世への応用についてはライマン[xxxviii]やカギワダ[xxxix]によって検討,確認されている。
したがって「パイオニア・プロジェクト」の三世が特に一世を奉仕活動の対象とする理由も理解されるし,他のグルニプの三世をはじめ一般的に三世の示す日本文化への関心の心理的背景も理解されるであろう。
いずれにせよ一世はもちろん二世すら驚くほどアメリカ社会に同化した三世が,日系社会から離脱しつつあるにつれ逆に自己の存在証明を求めてあるいは日本文化に,あるいはアジア系である点を軸に模索活動を行っていることは非常に興味深い。とくに,「パイオニア・プロジェクト」と他の三グループを比較する時より創造的方向は後者にみられる。なぜなら,集団アイデンティティは将来の方向を明示する具体的行動方針を有するのに対し「パイオニア・プロジェクト」の活動には運動としての時間的展望が欠けているからである。 あるいは,「アジア系アメリカ人」というなろうとするものをもつグループとそうでないグループの違いとも言えよう。
[i])本稿は昭和50年度学部卒業論文『同化と文化変容:日系アメリカ人の事例研究』にもとづくものである。現地調査は昭和49年度本学松崎奨学金をうけカリフォルニア州ロサンゼルスに於いて行った。その際カリフォルニア大学(UCLA)人類学部教授我妻洋博士のご教示を仰いだ。又,論文作成にあたり本間康平教授の助言をえた。記して謝意を表する。
[ii] Issacs, H. ,“Group Identity and Political Cha-nge”,The Bulletin of the International house of Japan, April, 1966, pp24-25『神の子ら』 (新潮社)に収録及び “Group Identity and political Change : The Ho-use of Muumbi”, the paper at the Psycho-history Group, American Academy of Arts and Science, Oct.16, 1971.
[iii] Issacs, H.op.cit.1971, pp.3-5
[iv] Issacs, H.op.cit.1971, p20b.
[v] Issacs, H.op.cit. 1966.
[vi] Erikson, E.H. 『主体性―青年と危機』 北望社 1970, pp.424-426.
[vii] Hartmann, H. EGO PSYCHLOGY AND THE PROBLEM OF ADAPTATION, New York : International Press. 1958.
[viii] Erikson, E.H. CLILDHOOD AND SOCIETY, Pelican Book, 1963, pp239-261.
[ix] Maslow, A. 『人間性の最高価値』誠信書房, 他
[x] Fromm, E.『自由からの逃走』東京創元社.
[xi] Adorno, T.W. & others THE AUTHORITAAR-IAN PERSONALITY, Harper & Law, 1950.
[xii] 例えば Kardiner, A. THE PSYCHOLOGICAL FRONTIERS OF SOCIETY, New York : Colo-mbia univ. Press 1945.
[xiii] Inkeles, A & Levinson, D.J. “National Ch-aracter : The Study of modal personality and sociocultural systems,”in Lindzay, G.(ed.)
[xiv] Wallace, A.“The New Culture and Persona-lity,”in Anthropology and Human Behavior, Washington. DC. The Anthropological Society of Washington, 1962, pp1-12.
[xv] Mead, M. COMING OF AGE IN SAMOA, Mentor Book, 1959.
[xvi] 我妻洋, 『自我の社会心理』誠信書房
[xvii] Erikson, E.H『洞察と責任』誠信書房, とくに第5章。
[xviii] 「カウンター・アイデンティティ」に関しては小此木の提唱がある。現代のエスプリ, No.78, アイデンティティ, 小此木編, 至文社, pp.85-86.
[xix] U.S. Department of Commerce, 1970. Census of Population : Japanese, Chinese and Fillipinos in the United States.
[xx] アメリカ移民は、家族単位で永住を決意したブラジル移民と異り、本来は独身青年の出稼者がほとんどであった。したがって,『蒼氓』(石川達三,新潮文庫)はアメリカ移民にはあてはまらない。
[xxi] Peterson, W. JAPANESE AMERICAN, Ra-ndam House New York, 1971, p.15.
[xxii] 加藤新一『アメリカ移民百年史(上)』時事新書, p.71.
[xxiii] New York Times, Jan. 9, 1966.
[xxiv] Newsweek, June. 21, 1971.
[xxv] Levine, G. & Montero, D.“Socioeconomic Mobilitiy among Three Generation of Japanese Americans, ”The Journal of Social Issues, vol.29. No.2, 1973, pp.11-33.
[xxvi] Levine & Montero, op.cit. 1973.
[xxvii] Kitano, H. JAPANESE AMERICANS : THE EVOLUTION OF SUBCULTURE, Prentice-Hall, 1969. P.172.
[xxviii] Pererson, op.cit. p.115.
[xxix] 羅府新報 Oct. 4, 1974.
[xxx] 日系政治家については次の論文が詳しい。鶴木真「南カリフォルニアにおける日系人の政治意識」,慶応大学法学部紀要, 1976 3月号, pp.17-60.
[xxxi] この表は次の二論文から作成した。
- Ogawa, D. FROM JAPS TO JAPANESE, Berkeley ; Macutchan Press, 1971.
- Kitano, H & Sue, S.“Stereotypes as a Measure of Success,”Journal of Social Issues, vol.29, No.2, 1973, pp83-98.
- Kalish, R. Maloney, & Arkoff, A.“Cross-cultural comparisons of College Student Marital Role Preferences,”Journal of Social Psyc-hology, 1966, 68, pp.41-47.
- F. Arkoff, A. & Iwahara, S.“Generation Difference in Values : American, Japanese-American, and Japanese,”Journal of Social Psychology, 1967, 71, pp.169-175.
- Arkoff, A. “Deference-East, West, Mid-Pacific : Observations concerning Japanese, American, and Japanese American Women,”