フォトギャラリー
リンショピング大学
2013年8月~9月
2013年8月から9月にかけて、立教大学の派遣研究員としてスウェーデンのリンショピング(Linkoping)大学(Norrkoping キャンパス)に滞在しました。その時の写真のいくつかです。
かつて紡績業で発展し、町の中に運河がありとてもきれいな街です。

運河のある街

運河のある街

運河のある街

水量調整用かこうした堰がある

もう一つの堰
街の中にある同大学の社会・福祉学部の建物と提供してもらった研究室。シンプルですが細長い机が機能的で、ここなら良い仕事をたくさんできそうな気がしました。お茶の時間も決まっていて三々五々の感じでスタッフが集まり、談笑している雰囲気もよかったです。そして、研究会での様子。

左は大学、中央は国王夫妻が通った橋

提供してもらった研究室

使いやすい長机の研究室

ソーシャルワーカーの参加者たち(研究会)

研究会の様子
大学横の橋周辺に人だかり。警備の人も出ていて誰か有名人が来るようであった。すぐに降りていって並んで待っていると、そこに現れたのは、なんと、カール16世グスタフ・スウェーデン国王夫妻!橋の手前で車を降り、歩いてこちら側に渡りながら片側に並ぶ市民の歓迎に応えられた。飛び入りの私もわずか数メートルの距離で。日本の感覚では考えられない警備で驚く。背筋をピンと伸ばし一定の歩幅で歩く姿に訓練されたものを感じる。

歩き方も国王らしい

奥の建物は大学
Linkoping市の町中の何気ない小さな公園にあったRaoul Wallenberg(ラウル・バレンベリー)を記念する碑。没年はなく、彼は「まだ生きている。」第二次世界大戦末期、ブタペストから10万人ともいわれるユダヤ人を救出し、戦後33歳でソ連軍に拉致され以後生死不明となる。拙著『福祉社会スウェーデンと老人ケア』あるいは『質的研究と記述の厚み』(第三章平和と福祉の関係)をご覧ください。この碑はLinkoping市によって設置されているが、日常生活の場であるこうしたところにも彼の碑があることは、武装中立策をとったスウェーデンの人々にとって今なお戦争の記憶が「生きている」ことを示している。

公園の片隅にあるヴァレベリーの碑を示す表示版

ヴァレンタベリーの記念碑―小さな生花は誰が手向けたのだろうか

ヴァレンベリーの碑文

彫像 33歳で拉致
1988年秋に初めてスウェーデンを訪問し、その時のフィールドワークでミンネスルンドと呼ばれる共同匿名墓地を知った。成熟した福祉社会の最後のクライエントは死者であると考え、墓地を調査対象とした。そのとき、ミンネスルンドは死者を追想する理念とデザインと運営方法を統合した、新しい形式と理解した。しかし、次の写真が示すように最近のものはそのイメージとは逆行し、理念もデザインも放棄し、ただただ低額の利便性だけがむき出しになった醜悪なものに変わったようである。
拙著『福祉社会スウェーデンと老人ケア』あるいは『質的研究と記述の厚み』をご覧ください。そちらのフォトギャラリーのものと比べてください。その変貌ぶりがわかります。

共同匿名墓地ミンネスルンド:Noorkoping市内の墓地の様子、2013

ミンネスルンド:花をさし故人と対話 – できるのだろうか?

ミンネスルンド:芝生の下に遺灰

筒ごとに百目小僧のようなネームプレートが

最近の醜悪な簡易墓‐匿名性すら放棄